2007.12
 ちょっと好きな事書いてみない? から始まり一年半。人様に二十回近く私の戯言に付き合ってもらったかと思うと、今さらながら恐ろしい。コラムやブログの面白さをあげるなら、今の自分とは違う自分が出来上がる事。と 言っても嘘の内容を書いているのではなく、書き手と読み手の時差によって、過去の自分が存在している気がするからだ。どんなに念を送っても、言葉は 発した時点から一人歩きするもので、私が思って書いた事と、人がそれを読んで思う事は違って当たり前だし、その上私の考えも明日同じだとは限らない。
 でもこのどうしようもない変化がたまらなく好き。だから私は何年も同じ内容の話をする人はあまり好きじゃない。変われないのは受け売りオンリーの場合が多く、その人自身が見えないからだ。じゃあ素直に自身の考えを話せば良いのかというと、さっき言ったように人は変化するものだから、これまた不安定。という訳で皆様、こんな信用ならない私のコラムの事はどうぞお忘れになって下さい。一人間の考えなんかより、あなたの考えの方が、きっと素敵で信用できるはず。常識なんて結局誰かが作ったもので(高村智恵子の受け売り)正解なんてないんだから。
 またどこかでお逢いしましょう、ありがとうございました!



2007.11

私が、素直に役者を目指せたのは妹のお陰だったと思う。 
姉の私が言うのも何だが、妹は頭が良い。私が中学生の頃、弟は私の目の前を通り過ぎ、小学3年生の妹に宿題を聞きに行った。母は、子供たちの中で唯一妹だけにお受験をさせた。父は、高一の妹に経済学の本を与えた。そんな妹に、私は大変なコンプレックスを抱いていた。
 今でも忘れないが、その気持ちから解放されたのは一4歳のある夜の食卓でのこと、妹のIQを聞いた時だった。その日から私は、勉強をやめ、踊りと歌ばかりの生活になった。人には向き不向きがあると悟り、得意でも好きでもない“見栄の学歴”への未練を捨て、素直に役者を目指そうと思った瞬間だった。
 親に教えられた事は沢山あるが、妹弟に気付かされた事も沢山ある。 数年経ったある日、妹が「好きな事に生きている万紗子に、私はコンプレックスを持っていたの」と言った。  自分じゃない誰かがいるから、人は変われるのかもしれない。とても仲の良い大切な人。



2007.10

生きる意味がテーマの芝居を 観に行った。
入院中の女の子が 「やりたい事がなければ生きてる意味ないですもんね」とか何とか言い、
夢を見つけるのだが、私にはこの芝居のメッセージが理解できなかった。
 なぜなら、私は生きる意味は生きていく事だと思っているからだ。産まれ 生き死んでいく、
命はそれだけで充分素晴らしく尊く大変だ。なのに、どう見てもそれに気付いてない人たちに、
自分の意味だとか、何かの為に生きなきゃなんて事を言われてもノーリアル。
きっとこの作者は大怪我も大病もした事なく、平和ボケに育った現代人なんだな。
衣食住に困らない国は確かに幸せだけど《ただ生きられる》大切さは薄らいでしまうんだろうね、
私だって現代人なので大きな口は叩けませんが。
 妙に生真面目な人が『正しい生き方』と思い込んだ生き方の理想像や生きる意味。
それを押し付けられるのは、私としては勘弁してほしいと思う。
 単純で一番素敵な事を、無い物ねだりの人間はすぐに忘れてしまう。
空き地で日向ぼっこのノラ猫は、今日もとても幸せそう。



2007.9

誰しも二度や三度は聞いた事があろう「やればできる!」の台詞。これに対する私の持論は、誰だってやればできる、だがそれをやれるのは才能だという事。
 いくらIQが高くても適当な勉強でハーバードは卒業できないだろうし、どんな素質を持ったアスリートだって日々の練習なしにメダルは取れないだろう。いくら素晴らしい資質を持って生まれてきても、自分が何もしなければ、無いも同じ。それにむかいうつ事ができてやっと才能になるんだと思っている。
 だから「やればできる」は、とても不適切な言葉に感じる。「やる気があればできる」そう言い換えるべきじゃなかろうか。
なんて事を学校の先生を思いながら考えた。やればできるんだからの台詞に、やる気がないのはどうしたら?とよく問うたものだ。返ってくるのは決まって「屁理屈」という言葉だった。三つ子の魂百まで、今も私は天の邪鬼。そして以上は、特に才があるとは思えない今の自分に向けて書いたような気がする。



2007.8
田舎の都会育ちの私には、都会の田舎暮らしは、とても楽しい。が、上京当初は、徒歩移動のトータル時間20分以上が、大変な事だった。
 18歳まで自転車15分圏内のチャリ王国生活。坂のない故郷の自転車の量は病的で、朝の自転車ラッシュを見た人は、中国かと思う程。ママチャリ選手権なんてあったら、間違いなく毎年中途半端に5位内入賞だろう。東京に来て、下手になった事と言えば、チャリテクだもの。先生とお巡りさんからは、よく逃げたような・・・懐かし。
 徒歩7・8分のデパートに行くのに必ず自転車を使い、両手荷物ならタクシーで帰りかねない。最寄りポストまでも、歩いてなんて行かない。今思うと変過ぎる。ウォーキングブームに流され1日1万歩なんて目標立てても、半分にも満たない。当たり前だ。1時間に2、3本しか走らない列車には乗る訳もなく、自転車以外は車移動で、歩くって事をあまりしない狭い街だった。
 そんなだから家から駅まで徒歩10分、駅から目的地までまた10分なんて信じられず、東京の「近い」って感覚や、よく歩きよく待つ人たちにビックリしたものだ。 それを思うと東京人は意外と健康なのか?!歩くって素敵!良い靴が売れる訳だ。メタボ撲滅委員会



2007.7
「一番近い世間は母親」最 近観た芝居の台詞。
‘魔女の宅急便’「落ちこんだりもするけれど、私は元気です」に涙していた数年はつかの間、カタギじゃない私の敵はやはりまず母でした。
上京してから幸運にもずっと仕事に恵まれ忙しくしていた時期があったので、仕事が無くのんびりした生活を送ってしまうと、そんな私がとたんに母の心配の種になり、電話が掛かってくる。
同じ女と言えど親と子の考え方は、まるで男と女の考え方が違うように異なる。母は冷蔵庫のチーズは探せるが、地図が読めず、私はきっと全く逆だ。
どちらかが正しく、どちらかが間違っている訳ではないのに、互いに自分を正解だと思ってしまう。だから喧嘩になる。
世間的には真っ当と言われる家で育った割に、明日の分からない生活を好んでしまうのは、突然商売人を始めた大祖父の血を受け継いだのでしょうか。
 役者は水商売なので色々な時期があるのは致し方ない。充電期間こそ‘豊か’の源と「運も実力、でも運を掴むのは努力した人」の言葉を身に暮らしてはいても、そんな事親には関係ない訳。
真っ当って何なのか、有名なモノはそんなに偉いのかしら。



2007.6
乙女たる者‘ダイエット’って言葉には敏感。でもエステに通いたいと思った事は一度もない。が、先日あまりの勧めにより友人御用達サロンに連れて行ってもらった。
「踊りの先生をやっていらっしゃるなら憧れられる身体の方が良いですよね?夢を与える仕事ですもんね!」
(そりゃそうだけど、その身体をエステでつくるんかい?!現実〜。)
「言わなければ良いんですよ、結構いらっしゃいますよ、そういう方。」
(私こう見えて正直者なんだ。しかも自分が好きなダンサーがエステな身体だったら、本気で凹む。)
最初誉めてたくせに、途中からは、案の定どこもかしこもダメだと言われた。でも身体って、どんなコンピューターよりも複雑で、きっとより今の状況に合っ た形で生きられるように、日々更新されているんだよね。しかも時間とお金を掛けて増やしてきたものを、また大金はたいて減らそうとするなんて、変な話。
 美意識は人それぞれ。美しい=細いとは限らないんだよ!!とは言いつつ痩せたい願望続行中の私。矛盾な生き物。早くバカから脱したい。


2007.5
“白ちゃん”は小学生1・2年生の頃のあだ名。
当時を思い出し、あの頃(これを特に強調する)ハッピーに思っていた遊びを、意を決して紹介しようかと思う。 その名も「あ!カマキリ」。・・・本当は名前なんて存在しないので、それが始まる最初の言葉を勝手に命名してみました。
 カマキリ(できるだけ大きなやつが好ましい)を見つけたらアスファルトに連れて行き踏んづける。と、お尻から神経であろう通称ゼンマイが出現。それは切っても切ってもムカデの様に尽きない。「ゼンマイが爪の間から入ると、ついには心臓まで辿り着き、死んでしまう。」という噂により、子供たちは死と背中合わせで必死にいたぶり遊ぶ・・・・飽きるまで。そして葬る。考えるだけでも残酷な遊びだったが、密の味がしたのも確か。きっと、あの時、私は笑っていたんだろう。 あれから10数年。踏まれそうな場所にいるカマキリを見ると、そいつが威嚇し刃物を挙げてこようが、無理やりにでも草むらの目立たぬところに連れて行く。
今は決してやりたいとは思わぬ遊びのひとつ。けれども、それを通過したからこそ、私は今、まともでいられるのかもしれない。


2007.4

方向感覚もあるし 地図の読める女だと思う。 1週間ほどフランスに行き、ありとあらゆるパリの小道を歩いた。右に書いたように方向感覚には自信があった。到着日夜、早速古くからの街並みを散歩。大分時間も遅くなり、比較的治安は良いと言われるパリだが初日だしと帰ろうと決意。もうじきホテルが見えるかと思った頃、目の前に現れたのは・・・コンコルド広場!?ライトアップされたエッフェル塔や凱旋門に喜びを覚え、ついでにとセーヌ川を渡りどんどん進む。ふと何故ホテルじゃなく正反対の広場にいるのかと考える。多分太陽が出ていないから方角が分からなくなったんだ。 次の日、昨夜見つけたショーウィンドウの素敵な店に行こうと歩くが、たどり着かない。どこもかしこも綺麗だが、とても似ているから分からなくなったんだ。
  その翌日、地下鉄に乗り目指すはダンススタジオ。住所は分かっている、ホテルで確認までした。
・・着かない。よく見ると‘Rue du Temple’なのに‘Vieille Temple’を歩いていた。単語毎にスペースをすごく空けて表記している地図のせいだ。
 フランス人は母国語しか喋らないのかと思っていたら、道を聞くと意外にも丁寧に英語で教えてくれた。一本道を進むのが嫌いな私は、適当に曲がっても着くと思うから曲がるのだが、やはりまた着かない。
 いい加減自分のダメ具合が嫌になり、地図を片手に歩き出す。碁盤の目と思いきや四方八方に巡る道、真っ直ぐに思えても確実に曲がっている通り。
  こうなりゃ意地でも慣れてやる!地図に目印、通りの名前を叩き込みながら進む。ついに全コース、最短時間での制覇を達成できる様になってきた。よしよし近場は何も無く歩けるぜ。
  ジャーン!ホテルまで地図無しの散歩完了。今日は帰国日。 地図の読める女無理やり更新。思い込み人生。


2007.3
物凄くイライラする日があり、何故苛つくのか判るかと聞かれ、私は人が多いからと言った。答えは違った   「満月だから」。よく聞く「暦の上では〜」って季節は全て先取り。お正月には「迎春」と書くが、年が明けてからの方が寒いし、1月7日に七草は生えていないし、桃の節句に桃は咲いておらず、七夕は7割雨…ちょっとおかしい。と思っている最近、旧暦についての本に出会った。約1ヶ月ズレている。旧暦=太陰太陽暦とは、月の満ち欠けでみる暦。月の引力は生き物たちにもの凄く影響していて、月を見ながら動物や植物の状態を見れば、皆何らかのリズムがあるらしい。満月に興奮するのもそれなんだろう。そう言えばと、ここ数ヶ月の私の生理日を見たら、必ず同じ月の形の日に終わっていた。不思議だけれどきっと昔の人に言わせれば普通の事。そんな理にかなった暦が消えてしまったのは、アジアでは日本くらいらしい。(羨ましい事に沖縄だけは残っているが。)明治になったからって、そんなに急に暦を全て変えなくても良かったんではないのかな?まあ、そこが呆れる位日本人的だけど。 旧暦を取り入れた生活をしようかと思うこの頃。


2007.2
色気について考える今日この頃・・。先月予告した「愉快な暮らし」については、またの機会にまわして、これについて書いてみる。
 『胸の谷間と香水の女』よりも、『Tシャツに汗の女』の方が、実は色っぽいのでは? と感じる私。
 大衆演劇の沢竜二さんの舞台では色っぽい人ほど、素は男らしかった。むしろ本物の男だったりする。あの躰のシナや、流し目は、女の私でさえドキリとさせられてしまう、まさに夢を売る商売人たち。
 今挙げたのは芸人さんの技術としての色気だが、装飾品で色っぽいお姉さま達も、これと同じでそれなりの技術があるのだと思う。意識的か無意識かは別として人工的な色気。
 じゃあ本質的な色気って何なのか?と考えた時に、現時点の私は、羞恥心が色気の元素なのではと思っている。恥じらいの心を多く持った人が理由のつけられない本物の色気の持ち主。
 だから「恥ずかしがらずに!」って言葉は三割はシカトすることにする。羞恥心を忘れた色気の無い男や女なんて、どんなにつまらない事か。
 恥じらいをもう一度。


2007.1
私は自分を‘何故?をあまり考えないタイプだと思う。物事に興味を持つ時に、何故惹かれたかを全く考えない致命的なバカ。なので、やりたいと思ったら最後、何も考えず行動してしまい、良い時は素晴らしい出逢いを体験する事もあるが、悪い場合は最悪、当たって砕けてどん底になる。正に猪突猛進、これは決して良い言葉ではないと思われる。私は本当は猪年なのかもしれない。
でも賢い人を見ていると、そうじゃない。彼らはまず想像し、予想し、するかしないかを考える。そうすると失敗が少ない為、私が失敗し砕け散っている間に、新たな出逢いを探しに行っている。これは目的に向かって修正しながらも確実に道を進む1本道タイプ。私は道を外すどころか落ちたりする、と言うと切ないので、目的に向かって進んではいるものの、広く遠回りをしながら登って行く螺旋階段タイプとする。どちらが良い悪いではない、そんな行き方が好きなんだから仕方ない。タイプなのだ。
では螺旋階段タイプには何が必要か。目的地まで時間が掛かる、だから長く生きなければいけない。よって来月は、人生初心者の小娘が考える、元気で愉快な暮らしとは です。乞うご期待!
 
2006はこちら









 

白ちゃんのHP
『白川万紗子の日々』はこちら

好評だった『かけだし女優白ちゃんのHAPPYな日々』は、
2007.12月をもちまして終了致しました。
今後は、スクリーンや劇場で活躍する白川万紗子さんを応援
したいと思います。
白川さん、いつも素敵な文章をありがとうございました!

     
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